CURRENT EXHIBITION

ただいまの展示

◇内田修ジャズコレクション展示室 収蔵品展2024「夏展示」

展示期間:2024年6月6日(木)~2024年9月2日(月)予定

レコード試聴1:世界のジャズ・フェスティバル実況録音盤②<モントレー・ジャズ・フェスティバル、コンコード・ジャズ・フェスティバル>

ニューポート、モントルー、コンコード、モントレー、ベルリン、――世界各国で開催され、そして今なお続くジャズ・フェスティバル。その中で繰り広げられた名演は、ステージの熱気を詰め込んで実況録音盤としてレコード化・CD 化されてきました。
こちらでは所蔵レコードの中から、それぞれの「当日」を記録した名盤・名演を紹介します。ジャズ・フェスティバルでの演奏だからこそのミュージシャンたちの高揚感、緊張感、見え隠れする人柄。スタジオ録音とは異なる魅力の詰まった一枚をぜひお聴きください。

●モントレー・ジャズ・フェスティバル/Monterey Jazz Festival ※モンタレーとも表記

 アメリカ東海岸で開催の「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」と引けを取らない知名度を誇る、アメリカ西海岸、カリフォルニア州のモントレーで開催される「モントレー・ジャズ・フェスティバル」です。
 1958 年に初代プロデューサーとなる創始者ジミー・ライオンズらによって初開催され、コロナ禍などによる中止もありつつ、いまも続くアメリカ西海岸を代表するジャズ・フェスティバルです。(2024 年は9 月27,28,29 日開催予定)先に挙げたロードアイランド州での「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」や、スイスの「モントルー・ジャズ・フェスティバル」と並び、≪世界三大ジャズ・フェスティバル≫の一つとされています。教育団体が主体となっていることから、催しの収益はジャズ教育をはじめその他文化事業などにあてられてきました。
 また、俳優クリント・イーストウッドによる初監督作品『恐怖のメロディ』(1971 年制作)の中では、1970 年開催時のステージや観客席などを捉えた映像がそのまま使用され、当時の様子を見ることができます。

●コンコード・ジャズ・フェスティバル/Concord Jazz Festival

 「コンコード・ジャズ・フェスティバル」は、アメリカ・カリフォルニア州コンコードで開催のジャズ・フェスティバルです。
 コンコードの自動車ディーラーで有数の実業家であったジャズ愛好家カール・ジェファーソンによる提唱で、観光誘致を兼ねて1969 年に第1 回「コンコード・サマー・フェスティバル」の名でスタート、見事成功を収めます。以降も毎年夏に開催しながら、1975 年には新しく建設された西海岸随一の野外コンサート劇場<コンコード・パビリオン>へと会場を移し「コンコード・ジャズ・フェスティバル」と名称を改め、その後も継続開催。長年続くジャズ・フェスティバルとなりました。ジェファーソンによるジャズ・レーベル「コンコード・ジャズ」設立にも繋がることとなり、ライブを録音した記録の数々はコンコード・ジャズより実況録音盤として数多く発表されています。
 同ジャズ・フェスティバルは2004 年以降休止となっていましたが、2019 年に1969 年の第1回開催から50 周年を記念したコンコード・ジャズ・フェスティバルがコンコード・パビリオンにて約15 年振りに行われました。

レコード試聴2/ラウンジ展示「生誕100年女性ヴォーカル②<ダイナ・ワシントン、メリー・フォード>」

今年2024 年に生誕100 年を迎える1924 年生まれの女性ヴォーカリストにフォーカスし、年間テーマとして紹介します。試聴コーナーではレコードを中心に試聴展示としてその歌声を、ラウンジスペースでは華やかなレコードジャケットをご覧いただけます。いまから100 年前に生まれ、歌い続け、そして今日まで残されてきたヴォーカリストたちの歌声をぜひお聴きください。

●ダイナ・ワシントン/DINAH WASHINGTON

1924年8月29日 – 1963年12月14日 アメリカ・アラバマ州出身

  幼少期からシカゴへ移り住み、ゴスペルなどの宗教音楽に囲まれて育つ。15歳の頃アマチュアのコンテストで優勝。1943年にライオネル・ハンプトンに認められ楽団入りし、レコード・デビューを果たす。1946年に独立するとR&Bを中心に活動、レーベル「マーキュリー(エマーシー)」と契約した。同レーベルでは約15年間に渡り多くのミュージシャンとの共演しレコーディングを重ね、“ブルースの女王” と呼ばれるスターへと成長した。1962年にはレーベル「ルーレット」へ移籍し活動を続けるも、1963年の末、39歳という若さでこの世を去った。

●MARY FORD / メリー・フォード(※メアリーとも表記)

1924年7月7日 – 1977年9月30日 アメリカ・カリフォルニア州出身

 レーベル「キャピトル」のスターとして、レス・ポール(guitar) と組んだ華やかな名唱を数多く残した。1942年からレス・ポールとコンビを組み、その後結婚。1948年から1958年までキャピトルには在籍し、1950年に発表した『ノラ』『テネシー・ワルツ』が一躍ヒットしたことから、スターの座についた。キャピトルを離れた以降の作品は、1963年までレーベル「コロムビア」に残しており、全てのレス・ポールと組んだものである。1963年にポールとは離婚、以降はソロ歌手として活躍した。声質は聴きやすい低域によるスローな歌唱に、可愛らしい節回しが特徴。

プライベートテープ試聴/「<追悼>ジャズ・ドラマー渡辺文男」

2024年3月24日、ジャズ・ドラマーの渡辺文男さんが85歳で亡くなりました。追悼として初リーダー・アルバム『FUMIO』と、コレクション所蔵のプライベートテープの中からヤマハ・ジャズ・クラブ出演時の音源を紹介します。

●渡辺文男/WATANABE FUMIO

1938年12月29日‐2024年3月24日 drums

 栃木県宇都宮市出身。兄はサックス奏者の渡辺貞夫、姉はヴォーカリストのチコ本田、甥にドラマーの本田珠也。

 ヴォーカリストとして活動をスタートし、1960年21歳の頃ドラマーに転向、沢田駿吾(g)とダブルビーツでプロ入り。八木正生(p)トリオをはじめ、武田和命(ts)、渡辺貞夫(as)、本田竹嚝(p)らそれぞれのグループへの参加を経て、1976年には若手を率い自己のバンドを結成。1970年代から80年代のクロスオーバー全盛期もバップ・サウンドを貫き追求し、一時期は完全なアコースティック・サウンドで聴かせるバンドとして注目をされる。以降も自己のバンドを中心に活動、エルヴィン・ジョーンズやフィリー・リー・ジョーンズらの流れを汲んだ主流派ドラマーとして、ビ・バップの音を伝え続けた。

 1979年発表の初リーダー・アルバム『FUMIO』では内田先生がライナーノーツを担当、またアルバム収録曲「PIT INN」は兄貞夫さんからの提供曲(アルバムのライナーノーツより)。