いかにして日本のジャズが育まれたのか——。内田修ジャズコレクションの監修者で内田氏とも親しいピアニスト佐藤允彦氏が聞き手となり、ギタリストの中牟礼貞則氏と、ベーシスト稲葉國光氏に、日本ジャズの黎明期にあたる50年後半から60年半ばのジャズシーンを語って頂きました。内田氏や仲間との出会い、「銀巴里セッション」などを振り返ります。
1933年鹿児島県生まれ。18歳で上京し、青山学院大学在学中の1952年にジャズギタリストとしてプロデビュー。
渡辺貞夫、前田憲男、猪俣猛などのミュージシャンと共演するとともに、自らが率いる中牟礼貞則コンボとして稲葉國光らとともに活動する。1963年に「銀巴里セッション」に参加。日本のジャズ史とともに歩んできたのみならずボサ・ノヴァスタイルをいち早く身に付け、日本・ノ黎明期のボサ・ノヴァを紹介、普及させた。
2012年に演奏活動60周年を記念して『We Love MURE san』をリリース。村上秀一が音楽監督を務めたこのアルバムは、愛弟子である渡辺香津美、小沼ようすけ、ケイコ・リー、Fried Prideら総勢10名が参加したトリビュート盤。現在も現役のプレイヤーであり、各地で演奏を続けている。
1934年静岡県生まれ。寺田日瑳三に師事。最初はアンサンブル・ミュゼットでシャンソンを演奏していたが、その後ジャズに転じる。
50年代中期に中牟礼貞則のグループに参加。徳山陽のコンボ、八木正生トリオ、白木秀雄クインテット他多くのコンボ、グループで演奏。68年より日野クインテットに参加するなど新主流派モダンベースとして日本のトップグループで活躍。現役生活は半世紀を越え、ソニー・ロリンズ、サド・ジョーンズ・オーケストラなど、海外のミュージシャンとも共演が多い。
2010年、初のリーダー作『BASSIN'』をリリース、現在も山本剛トリオ、ギタリスト中牟礼貞則とのデュオなどで活躍しており、重厚な音と熱いプレイで日本中のファンに愛されている。
1941年東京生まれ。慶応義塾大学卒業後、米国バークリー音楽院に留学、作・編曲を学ぶ。帰国後、初のリーダー・アルバム『パラジウム』でスイングジャーナル誌「日本ジャズ賞」受賞。その後も、数々のアルバムを制作し、国際的にも高い評価を得ている。1997年には自己のプロデュース・レーベル〈BAJ Records〉を創設。1993年より「ジャンル、技量にかかわらず、誰でも参加できる即興演奏」を目指すワークショップ【Randooga】を開始、フリー・インプロヴィゼイションへの簡潔なアプローチ法を提唱している。2009年~2011年、東京藝術大学に【Non-idiomaticImprovisation】の講座を開設。
長年の親交とジャズにとどまらない音楽への造詣の深さから内田修の信頼も厚く、氏自身から依頼されて本コレクションの監修を行っている。